プロフィール

50代主婦 2人の子どもが不登校になり夫婦関係が悪くて1人で悩んで抱えていた

心理カウンセラーの ほのかよ です

私は2人の子どもが不登校になり、夫との言い合いで1人で悩んで

子育てをして今、カウンセラーになりました

高校3年の時・・・

私が高校3年の夏休み、そろそろ就職先を決めようと思ってた時、

突然父が脳内出血で倒れて意識不明になり

家族皆の生活が一変しました。

母が病院に付きっきりになり私は、3つ下の妹と家で生活しました。

皆が大変だった時、私は「長女の私がしっかりしなあかん」と勝手に思い込んで

精神的、金銭的にもとても苦しかったです。

私は長女なのでわりと真面目で親の言うことを聞いて育ったので

今思えば親にあまり甘えていなかったです。

父は今、施設に元気にいてます。

なんとか高校を卒業し就職して、1年後に給料がいいところへ転職して

結婚できて、妊娠初期で流産したので仕事をやめてから

やっと子どもが男の子2人できました。

毎日が戦争?

次男が小学2年から不登校気味で毎朝、服を着せるのも大変で

私が仕事をしてなかったのとまだ小柄だったので無理やり自転車に乗せて学校に連れて行ってました。

特に行事が嫌いで遠足、運動会も泣き叫んで嫌がって寒い日は、服を着ないので下着で毛布にくるませて服を持って自転車で連れて行ってました。

校門にいてる校長先生、事務員さんに嫌がってる次男を抱っこされながら

やっと学校に入れて毎日、本当に大変で私が疲れたら休ませてましたがその時は

「連れて行かれへんかった」と自己嫌悪になってました。

学校に行けたら普通にしてるので次男に

「学校の何がそんなに嫌なん?」と聞いても「これが嫌だ」「何をするのかわからん」など

言うので私の中では「行きたくない癖がでたら将来、仕事ができなくなったらあかん」「毎日この子を連れていくのが私の仕事」と思いながら毎日、必死に連れて行って私が疲れたら休ませてました。

なぜ我が家だけ?

その1年後、長男が中学1年の6月ごろから体調不良で休み、病院に行くと「起立性調節障害」と言われ入院になり2学期からは全く行けなくなりました。

長男は小学校1年に「アレルギー性紫斑病」になり入院したが元気になって学校も楽しく活発に行けてたのにショックでした。

長男と定期的に病院に行き、家ではどこにも行かず主人は「なんで学校に行かへんねん。俺は熱があっても行ってた」と怒り出し毎日、家の中がどんよりとしていました。

なので「お父さんには黙ってて」と言って余計に家の中がピリピリになり

同時に次男も相変わらず不登校気味で2人とも家にいて毎日「なんで、うちだけ2人とも学校に行かれへんのやろうか?何があるの?この先どうなるんやろう」と不安で不安でたまらなくなりました。

どうしたらいいかわからない

両方の母親と主人からも「あんたが甘やかしてる 無理やりでも連れて行け」と言われ

長男にも「あんた長男なんやからしっかりしな」と言われて親子でしんどくなりました。

近所の長男の仲のいい友達が毎朝家に来てくれても行けなくて、それでも私は勉強だけでもさせようと教えてくれるところなど探して電話で勉強、ビデオ電話で勉強をしましたが

続きませんでした。

ずっと調子が悪く長男と定期的に小児科病院に行き、薬をもらって飲んでもそれでもあまり変わらなかったので

時には、違う科の病院に行ったり、もっと大きい病院を紹介されて行きましたが、特に何もなく帰ってきてよかったような、でもどうしたらいいかわからなかったです。

少しだけ希望が見えたような

中学校のカウンセリングに初めて長男と2人で行きました。長男は同級生と会うのを避けて少し怯えなら皆が授業中に静かに一緒に行き、先生とたわいもない話をして帰りました。

後日、私だけカウンセリングを受けたときに「家ではリラックスして笑えてたらいいのですよ」と言われてあたりまえのことですが、「ほんまにそうやな」と心から思いました。

他にも近所の学校教員の人が「子どもは、いくつになっても悩みはあるから早く出たんやで」と言っていて「そうや、この子たちは人より早く壁にぶつかってるだけや」と捉えて長男のやりたいことをやらせました。

その頃から父親との関係も悪かったですが、市の相談センターにも初めて主人と一緒に行って「学校に行けって言うたらあかんねんな」と初めて少し納得してくれたので私も少しだけ安堵しました。

気分的に少し楽になる

ある時から長男は少しずつ元気になっていき、その時に好きだったアニメをよく見てグッズを買ったりイベントに一緒に行って外に出れるようになりました。

また学校の紹介で自転車で行けるフリースクールに1人で行けてそこは、家のようにくつろいで居られるようで気に入って行ってました。

そこの先生との毎月の懇談で子どもの体調のことを聞かれたり、私の話を聞いてもらって毎回楽しみになりました。その先生が若い女性の先生で、前からの友達のように普通にいろいろ話せて親子共々、楽しく過ごせて癒されました。ほんとうにありがたかったです。

見違えるようにな

長男は中学はほとんど行けてないですが、修学旅行と卒業式に普通に行けたのが今でも凄いな~と思います。

高校は誰でも入れる自由な、ある高校に行きそこで同じような友達がたくさんでき、ホントに楽しく行きました。飲食店のバイトも進んでして月1回のボランティアに朝早くから楽しんで行けるようになりました。

あんなに家に引きこもって悩んでたのは何やったん?って思うぐらい、次は家に帰って来ないのを心配するまでになりました。

大学もわりと誰でも入れるところへ行き、初めて勉強して学年で優秀だったそうでこの春卒業し今、就職して葛藤中です。

次男も・・・

次男が小学校4年の時、相変わらず学校を嫌がってと体調が悪くて、兄弟で同じ小児科に行ってる先生に「ちょっと調べてみたら?」と言われて

いろんな所へ行き、やっと発達障がいとわかりました。

その時、長男が中2で引きこもり真っ最中で、ホントに毎日、私もしんどくて張り詰めてたのが

次男のことがわかり、私は「だから学校が嫌なんやね」と納得しました。

すぐに学校にお願いして支援学級にしてもらったら少しは学校に行けるようになったり、また行かなくなったりでしたが、もう次男も大きくなって連れて行けないのと、無理にはやめようとやっと思いました。

小学校5、6年は、ほとんど行けなくて中学、高校は悩みましたが支援学校に決めました。

ちょうどコロナの時期で入学式がなくて6月からで

その頃、世間がコロナでピリピリしてた時で次男が食欲不振でまた入院になりずっと「もうあかん死にたい、消えたい」と言ってました。

点滴をしながらずっと泣いてる次男を見て、私もとても心苦しかったです。

退院してもまた、ずっと学校に行けなくなりました。毎日、学校に休む電話と何か行事があるときなどは学校に連絡して、私は仕事をしてたので次男は留守番させました。

小学生の時から何か習い事をさせようかと体験をしたりしましたが、何をしても行きたがらないので諦めました。

長男と違って少しは冷静になれた

次男はこだわりがあって、人が苦手なので私も無理に何も言わずに普通に毎日を過ごしました。

「別に学校に行けなくても、この子に何かできることはあるやろう」と思ってわりと笑って過ごせました。

中学3年間でほとんど不登校でしたが、運動会、修学旅行と卒業式の行事は、先生のおかげでなんとか行けたのはよかったです。

同じ高校では環境が変わったので心機一転したのか、毎日元気に登校できるようになり

中学の先生もびっくりするぐらいとても喜んでくれました。

高校は運動と窯業の授業で先生に褒められて楽しく登校してこの春卒業し、今は

自立訓練で作業をしています。

振り返ると

2人の不登校を経験した親として思うのは、人にもよると思いますが、子どもは見違えるほど変われるんだなあということです。

不登校になると親は不安になり、焦ってしまいがちですが、まずはお母さんが「子どもに向き合ってがんばってる自分」を褒めて癒して元気になるのが最も大事なことです。

そうして次に、子どもが元気に回復していくのを信じて待っていけると思います。

がんばることも必要ですが、ゆるく楽しく過ごせるバランスが大事だと思います。

その自己肯定感を高める作業が、なかなか1人では難しいことです。誰かと一緒にやり取りをするかです。

子どもの不登校で悩んでいるお母さんへ、安心して過ごせる自分を取り戻していくための

ゆる~く自分らしく生きるカウンセリングをお母さんと一緒に「安心できる居場所」をつくります